http://novelcom.syosetu.com/impressionres/input/kanrino/1747720/
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更新お疲れ様です。理屈では式神の記憶を覗けばすべて分かりますが、普通に覗くと情報量が膨大になるのである程度当たりをつけて調べないと時間がかかりすぎるのではないかと思います。
前回(2013年 02月 27日)のすせり姫の性格に関する私の感想に対して、
>マニアックな指摘、ありがとうございます。
との御言葉を頂きましたが、あれは指摘と言うよりもネタとして書いたものですので、御気になさらないで下さい。
本日、ようやく最新話まで読み通す事が出来ましたので、以下に気付いた事とネタを織り交ぜて御報告させて頂きます。
"第3章「八百万」百卅捌.ヒントの欠片"において主人公が
>これからは毎日、雪に式神から何を教わったかちゃんと聞いておかないと、どんな嘘知識を教えこまれるか分かったもんじゃないと、旅の空で思うのだった。
等と言っていますが、「式神の記憶で確認すればいいだろ」と思うのは私だけでしょうか?
おそらく主人公自身がその事を忘れていただけだとは思いますが、式神は言いくるめが上手いので、"雪"というフィルターを介した情報では、主人公が"式神の嘘"を見抜けなくなるおそれも無きにしも非ずの様な気が致します。
それから、"第3章「八百万」百肆拾肆.ザ・タイム・スリッパーズ"においてオリジナルの時間転移魔法を1人で無理矢理起動すると命を削って瀕死になって数年から数百年は復活できなくなってしまいます。数十人かかってようやく安全に起動できるという風に理解していただければと。
>時間転移魔法は太古の昔から伝わっているものの、天照級の神さまが数十人かかってようやく起動させられるほど神力の消費が激しくて、現実的に使える魔法とは考えられていなかった。
>それでも神力消費はまだ膨大で天照や大国主のクラスの神でないと発動できない上に、頭の固い高天原の神さまから文句を言われることが予見できたので、この魔法は2人の秘密ということにしていた。
とありますが、"第1章「天照」伍拾伍.できることできないこと"において、「天照&大国主方式時間転移魔法」を知らない筈の月☆読が
>(まあ、できるかできないかで言えばできますけど、その後、力の使い過ぎで倒れてしまいます)
>(短くて数年、長くて数百年は自由に身動きが取れなくなりますね)
と言っているという事は、月☆読は「天照級の神さま数十人分の神力」を1人(1柱)で供給する事が出来るのでしょうか?
ちなみに、月☆読は一応、大国主くらいの神力はあっても、天照ほどの神力はないという設定になっています。
同じく、"第3章「八百万」百肆拾肆.ザ・タイム・スリッパーズ"において、「神力不足で主人公を現代に帰す事が出来ない」という設定が登場していますが、主人公を元の男の姿に戻した後で、「大国主とその使い魔との間のチャンネル」を使ってかぐや姫を現代に送り込めば済む話ではないでしょうか?魂を転移させるのはそうでないのに比べて桁違いに大きな神力が必要になるという設定になっています。大国主は自分自身を時間転移させることができない理由がそれなので。
それとも、どこぞの超能力者の設定の様に、自分の体重よりも重いものは送る事が出来ないという事なのでしょうか?(でも、どう見ても紺色の豚の方が主人公よりも重そうです)
又もし、サイボーグ0〇1の様に意識のある生き物を送る事が出来ないというのでしたら、主人公が寝ている時に送れば済む話です。
「神力不足で主人公を現代に帰す事が出来ない」という設定にされるのでしたら、現行の「天照のチャージ不足」に加えて、例えば「大国主とその使い魔との間のチャンネル」では「生きている生物」或いは魂を送る事が出来ない等の様な、何らかの制限があるという設定も加えた方が宜しいのではないでしょうか?
因みに、「神力不足で主人公を現代に帰す事が出来ない」事に関しては
(1)天照と同格に近い月読の神力を使う
(2)天照の命令で複数の神様の神力を合わせる
(3)主人公を1000年後の現代ではなく、数ヶ月前の「天照が主人公をさらって来る前の時代」に送り込む事で、必要となる神力を節約(数ヶ月÷1000年=数千分の1)し、「未だ時間転移魔法を使用していない当時の天照」に主人公を現代に転生させる(タイムパラドックスは気にしない)
(4)9年と3日と6時間58分17秒経ってから、少しだけ回復した天照の神力を使って主人公を90年と32日と21時間42分50秒後(つまり作中の時代の99年と36日と4時間41分7秒後)に送り込み、更にその時代の天照の神力を使って主人公を900年と329日と1時間8分20秒後(つまり作中の時代の1000年と5時間49分27秒後)に送り込む
(5)現時点で転生後5ヶ月が経過しているものとして、その5ヶ月間に少しだけ回復した天照の神力を使って主人公を4年2ヶ月後に送り込み、更にその時代の天照の神力を使って主人公を41年8ヶ月後(つまり作中の時代の45年10ヶ月後)に送り込み、更にその時代の天照の神力を使って主人公を416年8ヶ月後(つまり作中の時代の462年半後)に送り込み、更にその時代の天照の神力を使って主人公を現代に送り込む
等の様な解決方法の内の何れかが採られるのではないかと勝手に予想しているのですが、如何でしょうか?
なお、かぐや姫側から見て一番負担が少ないと思われるのは、天照が提案したように100年眠らせるというものだと思いますけど、かぐや姫自身が拒否しているので少なくともすぐに現代に帰るという選択肢は消えていると思います。
それから、"第3章「八百万」百伍拾.ケルベロスのお巡りさん"において櫛の歯に火を灯したのはイザナミの屋敷の中が暗かったからだと思っていました。
>狩衣の裾で綱引きをしながら洞窟を進んでいくと、どうやら出口が見えてきたようだ。
とありますが、根の国(根堅州国)は地下にあるのであって、地上に出た訳ではないのですから「出口」というのはおかしいと思います。
「終点」とか「洞窟の終わり」等とされては如何でしょうか?
同様に、
>出口を出ると、普通に屋外だった。
という箇所も、「出口を出ると」ではなく、「根の国に入ってみると」とか「根の国に到着すると」等とされては如何でしょうか?
余談ですが、光源があるのですね。
記紀の神話の方では伊邪那岐様ですら、櫛の歯の先に火を灯さなければ妻の姿さえろくに見る事が出来なかったのですが、この辺りも2013年 02月 27日の私の感想に対する御返信にある
>古事記や日本書紀の内容は現実とフィクションが混ざっているとしています。
という部分なのですね。
それにしても、
>天児屋はさすがに神さまだから暗闇でも目は見えるらしく、少しくらい離れてもすぐに追いつく。
作中の天児屋が神話の伊邪那岐様よりも勝っているとは・・・
それはともかく、根の国の設定は神話を無視してかなり自由に作ってあるので、神話とは乖離している可能性はあります。
それから、"第3章「八百万」百伍拾壱.FUJIYAMA"において件の記述は
>あれ、神話だとスサノオは暴れただけで女神が死んだのは事故だったと思ったけど、実際は違ったのかな?
とありますが、古事記においては追放されることが決まった後で、大宜津比売神(オオゲツヒメ)を殺していますから、「神さまを殺して根の国に追放された」という訳ではないものの、神さまを殺したという事には変わりがありませんから、いずれにしても危険という事に変わりはないのではないでしょうか?
尤も、日本書紀において、この話は何故か月夜見尊が保食神(ウケモチノカミ)を殺す話に変わっていますから、月☆読が作中において危険神物として描かれてはいない以上、大宜津比売神を殺した事が必ずしもスサノオが危険だとみなす理由とはならないかも知れません。
【参考URL】
オオゲツヒメ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%B2%E3%83%84%E3%83%92%E3%83%A1
神のやしろを想う > 記紀神話の神様 > スサノヲの追放と女神殺害
http://jinja-kikou.net/tuihou.html
天児屋(そうだけど、そんな生やさしい相手じゃないんだよ。スサノオは高天原で神さまを殺して根の国に追放された極悪人なんだよっ)という天児屋の発言に対するものなので、高天原での事件のことを指してます。
その事件とは岩戸隠れのきっかけになった稚日女尊のことで、オオゲツヒメは追放後なので追放の原因になった事件ではないのです。
"第3章「八百万」百伍拾弐.MACHO"においてイザナギとイザナミは、結局全部終わった後に世界の管理を子どもたちに任せて、自分たちはオーストラリアに移住してゴルフ三昧の生活を送っているらしいので、根の国のものを食べても多分大丈夫です。
>もしスサノオが外出中ならこの道を通って返ってくるかもしれないと思ったのだ。
とありますが、この場合は「返ってくる」ではなく「帰って来る」が正しいと思います。
"第3章「八百万」百伍拾弐.MACHO"において
>天児屋(ぎゃー。出たー)
とありますが、これでは「ぎゃー」と「出たー」の2つの文に分かれてしまう事になり、文法的には間違いとは言えなくとも、悲鳴を表している台詞としては少々不自然ではないでしょうか?
普通は「ぎゃー、出たー」とか「ぎゃー! 出たー」等の様な感じになると思うのですが如何でしょうか?
"第3章「八百万」百伍拾参.おじいさんは山へ……"において
>スサノオ(はっはっは。まあ呑め)
>スサノオ(じゃ、飯にすっか。もぐらは好きか?)
>スサノオ(鍋にすると美味いぞ。食ってみろ)
とありますが、流石"高天原で神さまを殺して根の国に追放された極悪人"のスサノオ、いきなり黄泉戸喫(よもつへぐい)を勧めるとは、殺る気(生かしては帰さないつもり)満々ですね。
(一応、念のために申し上げておきますが、指摘等ではなく単なるボケです)
指摘等ではなく、単なる疑問なのですが、"第3章「八百万」百伍拾伍.やもお"においてまだちゃんとあります。本文で結界と言っていたやつです。だいぶ古くなってきたのでスサノオが頑張ってメンテしてます。
>スサノオ(俺がここを離れると、管理者のいなくなった災厄がいつ地上へ溢れだすかわからない。実際、俺がここに来る前は、度々災厄が葦原中国に溢れだして手がつけられない状態だったしな)
とありますが、主人公達が根の国に行けた事といい、それ以前にも大穴牟遲神(大国主神)も根の国に行って来た事があった事といい、千引きの大岩さんこと道反の大神様はどうされたのでしょうか? 謎です。
(道反の大神御自身がお隠れになられたとか? 或いは、母親に会いたがったスサノオが、根の国へ行く際にどかしてしまったとか?)
根の国から出てきてはいけないものだけを出られないようにしているので、それ以外の神さまや人は普通に通れますよ。
それから、"第4章「雲上」百漆拾.シティー・○ンター"において瀬戸内海の方が今後の物語の展開上便利だったので……。
>どうやら大納言は、京を離れている間に瀬戸内海へ龍を探しに行っていたらしい。そこで本物の龍を見つけて頸の玉を取ろうとしたのだが返り討ちにあって、船の上で背中を強かに打ちつけて立てなくなってしまったようだ。
とありますが、原作では大納言が龍と遭遇したのは筑紫の海、即ち有明海だった筈です。(確かに出港したのは難波の港ですが)
何故、あえて瀬戸内海に変更されたのでしょうか?
それと、有明海の場合、龍を探すためにあちこち彷徨いながら往復したにしては、たった1ヶ月で帰って来たのは早過ぎだと思います。
それに、瀬戸内海という概念が出来たのは江戸時代になってかららしいので、(大納言の周囲にいる人々が話した内容が情報源の筈の)三羽烏情報では瀬戸内海という広い海域を表す言葉が出て来るのはおかしいと思います。
【参考URL】
総合心理相談 Es Discovery > 日本の古典文学 > 竹取物語 > •『竹取物語』の原文・現代語訳11
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan4/taketori011.html
有明海 - Wikipedia > 2.1 干拓の歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%98%8E%E6%B5%B7#.E5.B9.B2.E6.8B.93.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2
瀬戸内海 - Wikipedia > 1.1 「瀬戸内海」の誕生
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E6%B5%B7#.E3.80.8C.E7.80.AC.E6.88.B8.E5.86.85.E6.B5.B7.E3.80.8D.E3.81.AE.E8.AA.95.E7.94.9F
後、オリジナルのかぐや姫の場合、宝物を探すのに相当時間がかかってるんですよね。でも、それだと話のテンポが悪くなっちゃうので、1ヶ月で帰って来られるところに変更しました。
同じく、"第4章「雲上」百漆拾.シティー・○ンター"においてあのシーンはかぐや姫が脈絡のないことをいきなり言ったという場面なのでよく分からなくていいと思います(ぉぃ)。一応彼(彼女?)の頭のなかでは龍を見に行くついでに雪と温泉に浸かって来ようとか思ったのだと思います。
>そんなことより、龍が瀬戸内海にいるなんて知らなかったな。
> 俺「最近、だいぶ寒くなってきたわよね」
> 雪「え? ええ、そうですね」
> 俺「温泉が恋しい季節になってきたと思わない?」
とありますが、龍と温泉に何の関係があるのか良く解りません。
脈絡がないため、若干、話について行けません。
入浴シーンを入れるのが目的なのでしたら、原作において庫持皇子が課題の玉の枝探しをする際に仕事を休むための言い訳として、筑紫の国に湯治に出かけると言っていたりしますから、龍がいる場所を原作の通りに筑紫の海のままとした上で、筑紫の国の「まむし温泉」(有明海ではなく、玄界灘の近く)とか、「脇田温泉」(どちらかと言えば山の中)といった、かぐや姫の時代にも存在していた温泉に行かせた方がストーリー上無理が少ない様な気が致します。
ついでに申し上げますと、筑紫の国以外であれば有明海の周辺には、佐賀県の「熊の川温泉」、「嬉野温泉」、「武雄温泉」、「古湯温泉」といった1200年の歴史を誇る温泉(何れも山の中)もあります。
【参考URL】
総合心理相談 Es Discovery > 日本の古典文学 > 竹取物語 > •『竹取物語』の原文・現代語訳4
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan4/taketori004.html
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 福岡 > まむし温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2009/04/post_606.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 福岡 > 脇田温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2007/03/post_84.html#more
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http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2009/04/post_607.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 佐賀 > 嬉野温泉
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平安時代の温泉は、湯治という病気治療の手法で、娯楽のためのものという位置づけではなかったと理解しています。
"第4章「雲上」百漆拾弐.暗黒湯煙紀行"において所詮、弘法大師もただの人。天照の加護を受けたかぐや姫に敵うわけがないということなんだと思います。結局、かぐや姫のほうが敵わなかったですけど。
>弘法大師だって温泉を掘り当てたんだし、俺にできないわけがない。瀬戸内海にかぐや姫温泉を作ってしまおう。
と主人公が考えていますが、温泉を単に掘り当てただけでは湯治レベルの施設に過ぎず、結局「観光地としての温泉地」にはならないのではないでしょうか。
「観光地としての温泉地」とするためには、世間に広く知られている様にした上で、ちょっとした街も作らねばならず、いくらチートの主人公であっても無理ではないかと思います。
単に温泉に入るだけなら、わざわざ掘らずとも既に発見されていた温泉があります。
例えば、瀬戸内海沿岸近くですと大分県の「別府温泉」があります。
瀬戸内海沿岸からもう少し内陸にあるものも含めれば、別府温泉の近くの「観海寺温泉」、「鉄輪温泉」、「由布院温泉」等がありますし、他県では兵庫県の「有馬温泉」、「塩田温泉」、岡山県の「湯迫温泉」、香川県の「塩江温泉」、愛媛県の「鈍川温泉」、「道後温泉(日本最古の温泉)」等があります。
【参考URL】
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 大分 > 別府温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2007/03/post_85.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 大分 > 観海寺温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2009/04/post_623.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 大分 > 鉄輪温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2008/03/post_193.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 大分 > 由布院温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2008/03/post_190.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 兵庫 > 有馬温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2007/03/post_76.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 兵庫 > 塩田温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2009/02/post_557.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 岡山 > 湯迫温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2009/03/post_581.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 香川 > 塩江温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2008/01/post_114.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 愛媛 > 鈍川温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2009/03/post_595.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 愛媛 > 道後温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2007/03/post_83.html#more
尚、平安京の近場で、平安貴族の別荘地として有名な嵐山にも、現代(大正時代頃)では温泉が開発されていますが、源泉温度が35℃と人肌よりもやや低い程度なので、沸かし直しをしない限りは、入っても体は温まらないと思います。
その他にも、京都府内には奈良時代に発見されていた木津温泉もありますが、平安京からそこへ行くくらいでしたら有馬温泉へ行く方がずっと近いです。
【参考URL】
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 京都 > 嵐山温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2008/07/post_357.html#more
温泉ナビ > 特集 > 温泉の歴史 > 京都 > 木津温泉
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2008/07/post_360.html#more
後それから、弘法大師様は発見した(?)温泉の数こそ二十数ヶ所程度かも知れませんが、温泉に限らなければ発見したり作り出したりした水源の数は全国で千数百ヶ所、伝説が残っている場所は五千ヶ所以上というスーパーアクティブな方なのですから、たかがチート魔法を使える程度で、弘法大師様と同じ事が出来るなどと考えてはいけません。
その様なセリフは全国数千ヶ所を回って、伝説を残してからにして下さい。
【参考URL】
空海 - Wikipedia > 7 弘法大師の伝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7#.E5.BC.98.E6.B3.95.E5.A4.A7.E5.B8.AB.E3.81.AE.E4.BC.9D.E8.AA.AC
"第4章「雲上」百漆拾参.あぁ、中学二年生"において雪が嫌だなぁ。アレは耳が大きくて赤いズボンを履いているアレじゃないですよ。もっとすごいものです。
>雪「それにしても、かぐや姫さまがあれを鍋に入れた時にはどうなることかと思いました。だってあれですよ。それがこんなに美味しいお肉に……」
等と言っていますが、雪ももう庶民ではなく貴族の仲間入りをしたのですから、獣肉食を忌避する習慣をつけた方が良いと思います。(庶民に対しても禁令は出されてはいたものの、貴族とは違って仏教の浸透が進んでいなかったため、未だ肉食の習慣は続いていたようです)
家畜の肉ではないので、多少はましかも知れませんが、食材が某猫型ロボットの弱点であるアレなのでは、どちらにしても人に知られた場合には白い目で見られる事になると思います。
処で、狸に関しては不味いという話はあるものの、アレに関しては不味いという話は聞いた事がありません。という事はアレは美味しいのだろうか?(少なくともでかいアレであるカピバラは食用として飼育される場合があり、豚肉の様な味がするらしいです)
【参考URL】
日本の獣肉食の歴史 - Wikipedia > 2 農耕時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%8D%A3%E8%82%89%E9%A3%9F%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E8.BE.B2.E8.80.95.E6.99.82.E4.BB.A3
ちなみに、平安時代の貴族でも肉は食べてる人は食べてたみたいですよ。ただ、狩猟によるものなので量は少なかったみたいですが。
仏教については熱心な人もいれば、関心の薄い人もいたようですが、偉い人に睨まれると後が怖いという意識はあったんじゃないでしょうか。
正直な所、鷹狩とか熱心にやっておいて、肉を食べないとか不思議な気がするので、絶対隠れて食べてたんじゃないかと思います!
"第4章「雲上」百漆拾陸.プライベート撮影会"においてああ、ネタバレ……。
>外にいたのは正しく龍だった。
とありますが、その2行前の処で
>外に現れたものを見た俺は、雪の制止を振り切ってロッジの外に飛び出した。
という具合に、龍に対して既に「外に現れたもの」と形容をしているのですから、再度「外にいたのは」と形容するのは、文法的には間違いとは言えないものの、少々冗長な表現ではないかと思います。
ですから、必ずしも直すべきとは言えませんが、
"そこにいたのは正しく龍だった。"
或いは、
"それは正しく龍だった。"
等とされた方が、見苦しくない文章となる様に思えます。(どちらかと言えば"それは正しく龍だった。"の方を推奨致します)
"第4章「雲上」百漆拾陸.プライベート撮影会"において
>いや、龍は3頭と数えるのが正しいのか?
とありますが、以下のサイト
【参考URL】
有生物を数える助数詞再考察:日本言語学会第119回大会発表(1999)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~aiida/jls99.html
の情報によりますと、"頭"と数えるのは
>人間にとって尊重・脅威の対象となるもの、すなわち大型であるとか、人間の役に立つ生物、貴重な存在、あるいは脅威の対象であるといった有意な有生物を数える際に用いられる助数詞であると言える。
という説があるようです。
ですから、その説が正しいものとした場合には、龍は尊重・脅威の対象となるものなのですから、「3頭」と数えるのが正しいという事になります。
尤も、日本の九頭龍(くずりゅう)や五頭竜(ごづりゅう)等の様に、世界各地の竜の中には複数の頭を持つものがいますから、そいつらの事まで「頭」と数えて良いものなのかどうか私には判りません。
【参考URL】
九頭竜伝承 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%A0%AD%E7%AB%9C%E4%BC%9D%E6%89%BF
五頭竜 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E9%A0%AD%E7%AB%9C
少なくとも、「1頭の九頭竜」などという表現を目にする事があれば少々抵抗感を覚えると思います。
それに、二枚貝を「1個」、「1匹」、「1枚 」、「1粒」、「1杯」と数える事からも判りますように、助数詞というものは必ずしも1種類の生物・物品に対して1つだけという訳では御座いません。
それは龍に関しても同様で、龍を「龍神」、即ち神様の一種と見做した場合には、神様なのですから「3柱(はしら)」と数えるのが正しいという事になりますし、(ゲームに登場するような)モンスターと見做した場合には「3体」と数える事も出来ると思います。
以下のサイト
【参考URL】
みんなの知識【ちょっと便利帳】 > ものの数え方・助数詞 5,000 > ら > り
http://www.benricho.org/kazu/ri.html
には、龍の数え方として「一匹・一疋」、「一頭」、「一筋(すじ)」、「一条(すじ・じょう)」等が掲載されています。
尚、「筋」や「条」は細長い物を数える場合に使用される助数詞ですから、ひょっとしますと絵画や彫刻といった実体のある芸術作品の中に登場する龍の数え方かも知れず、生きている龍に対しても「筋」や「条」を使って良いのかどうかは私には判りません。(某お宝鑑定番組の中で、絵に描かれた龍に対して「1筋の龍」という表現が使われた事があります)
それから中国では龍の数え方として、他にも「龙」(lóng:龍を表す文字)が使われる事があるようです。
【参考URL】
名詞や動詞に適した助数詞を量詞と呼ぶ : 中国語の学習
http://ieiri7.exblog.jp/7581246
何れにしましても、次話の "第4章「雲上」百漆拾捌.龍の数え方が分かりません"の最後においてスサノオの剣から生まれた宗像三女神だと判明した以降であれば、神様なのですから「3柱(はしら)」と数えるようにされた方が良いと思います。
それ以前は「柱」と呼んで良いのかどうかは不明のままですが・・・
"第4章「雲上」百漆拾陸.プライベート撮影会"において多分、負けです。
>永続化魔法で電池の減りを気にせず使えるという優れものだ。
>欠点は永続化魔法のせいで時計が止まっていることと設定変更が反映されず初期設定に戻ってしまうことくらいだ。もっとも、平安時代がカメラの時計で表示できるか甚だ疑問だが。あと、メモリカードだけは永続化すると写真が保存できなくなる関係で魔法を掛けていないため、データが飛ぶ可能性は残っている。
となっていますが、それですと電池内部の化学反応も進まないために電気が起きなかったり、電力が外部から供給されたとしても電子回路が動作しないので、レンズを被写体に向けても(モニターにすら)何も映らなかったり、スイッチやシャッターを押しても反応がなかったりするような気がするのですが・・・・・気にしたら負けですか?
永続化魔法の詳細を議論していないのでご都合主義的な議論ですが、永続的な変化を加えるような操作が無効になる魔法だと考えてください。
"第4章「雲上」百漆拾捌.龍の数え方が分かりません"において実は瀬戸内海の有名な神社にも宗像三女神を祀っているところがあります。多分、よくご存知の。
>龍C(お主、我らが龍の縄張りで何をしておる)
とありますが、宗像三女神の縄張りというのでしたら、陸地では瀬戸内海周辺ではなく、玄界灘沿岸にある福岡県の宗像地方ではないでしょうか?
【参考URL】
宗像大社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E4%B8%89%E7%A4%BE
宗像地方 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E5%9C%B0%E6%96%B9
尤も、昔の宗像地方は九州地方の首都的存在で、既に多数の人間が暮らしていましたから、宗像地方全域が立入禁止であった筈はなく、勝手に入ってはいけない宗像三女神の縄張りは、九州本土の辺津宮、筑前大島の一部、沖ノ島の全体くらいだったのではないかと勝手に推測しております。
宗像地方は筑紫国にありますから、先述の「原作では大納言が龍と遭遇したのは筑紫の海」という事や、「原作において庫持皇子が課題の玉の枝探しをする際に仕事を休むための言い訳として、筑紫の国に湯治に出かけると言っている」という事を合わせて考えますと、尚の事、舞台を瀬戸内海近くとしている意味が解りません。
それに、宗像地方の宗像大社辺津宮の南南東約17kmの所には先述の脇田温泉(開湯は奈良時代)がありますから、舞台を玄界灘か有明海の近くにされておかれれば、わざわざダウジングしたり、地面を掘ったり、マグマ溜りと地下水脈を捻じ曲げたりする必要もないと思います。
時代設定をオリジナルの奈良時代から平安時代に移したため、国風文化の影響で北九州の地位が低下してきたことと、その後の武士の時代で東国の力が強くなってくるのですが、神さまの世界は若干時代を先取りしているということを考えて、平安京よりのところを舞台に選んだというのもあります。
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