2017年9月29日金曜日

空想科学的政局予想

現実が面白すぎて小説を書いている場合ではないと言った感じで、これは今こそ現実の二次創作を真剣に書くべきなのではないかと思い始めております。ああ、それがドキュメンタリーということか。

先日、政治的ポジションのことを書きましたが、その後民進党から特大の爆弾が落ちてきて右も左も大火事になっている様子です。wktk

ああ、こんな小説を書いてみたい。

AI羊は幼女戦記を読んで、裏の政治はもっと遥かにバカげてるので、そっちに焦点を当てた話を書きたいと思ったのがきっかけだったのですが、現実が更にその上を行くという。だって、今、北朝鮮危機の真っ最中なんですよ? 総選挙というだけで草なのに、野党第一党が総選挙の真っ最中に解党とか、プロット出したら頭がおかしいと言われるレベル。しかし、当事者にはそれなりには筋が通っているという悪夢。

仕方ないので、後出しながらこの先を小説家的に予想してみようと思ったのであります。

今の与党が安定している理由として、先日述べた社会全体がタイプA(右派)に寄っているということもあるかと思いますが、右派に基盤のしっかりした政党がなく、ほぼ自民党一択になっていました。橋下徹さんがもう少し頑張れば変わったかも知れないのですが、大阪に拘って最後は政治家を辞めてしまいましたから。

それに対し、左派は四分五裂しています。極左に共産党、中道左派に公明党という強力な集票力を持つ政党があります。しかしどちらも思想的な色彩が強く一定以上の支持を集められません。民主党や社民党のような左派の大衆政党は両党の間の票を拾い集めるしかありませんが、小選挙区制の下では右派総取りの自民党に数で負けてしまいます。まして、公明党が自民党に協力している状況では尚更。

ところがここに希望の党が出て民進党が合流を決めると、情勢は極端に不透明になりました。希望の党は小池百合子さんというはっきりした右派の看板を背負っている上、橋下徹さんとは異なりベテランの政治家で途中で政治家を辞めることは考えにくいです。また、民進党の中核は自民党憎しの感情だけは理を曲げてでも貫く姿勢のようですので、合流後の希望の党が自民党に吸収されることは難しそうです。更に、この合流で民進党の左派が切り離されれば、政策の合意も取りやすくなるでしょう。

これは、ことが希望の党サイドの希望通りに進むと右派の票が完全に自民と希望で2分されることになりえます。逆に規模の大きい左派の党が一つ減るので左派の票が集まりやすくなります。行き先がどこになるかはわかりませんが、公明党と共産党がある程度の受け皿になることは間違いないと思います。

更に、変化は自民党の内部にも波及します。本来、自民党も一枚岩ではなく、右から左までいるはずなのですが、左が民進党と票を食い合っていたのに対し、右は競合がおらず、結果、右が集票力の差で主導権を取る状況になっていたのです。それが、右に新しい政党ができ、左から政党が消えることで、左右の集票バランスが左寄りに大きく変化します。

つまり、希望の党という極右政党に民進党の右派勢力が合流して野党第一党になることで、自民党の左派と公明党のプレゼンスが高まり、政権の軸足が逆に左寄りずれる結果になる可能性が論理的に導かれるのです。

とまあ、こんなストーリーを考えて見ましたがどうでしょう? ありきたり過ぎですか?

2017年9月27日水曜日

政治的ポジションと社会制度

選挙が近くなってきましたし、そうでなくても小説家になろうの小説において政治の話を題材にすることはNAISEIとかの例を出すまでもなくよくあることなので、ちょっとその辺の話について私個人の俯瞰的な理解を書いてみようかなと思いました。

昔から私のブログを見ている方は、今の私の政治的ポジションが左派寄りであることは知っていると思いますけれど、そもそも左派、右派って何を意味するか分かりますでしょうか? フィクションでもこの対立軸を意識していると政治系の描写の説得力が上がるのではないかと思います。

歴史的な事情、各国の政党の現実の政策という話には立ち入らず、ざっくりと大きな視野からどうして2派に分かれた対立が起きやすいのかという点に焦点を絞ると、私の考えでは、人間の志向に2つの異なるベクトルがあることの自然な帰結だと思っています。そのベクトルとは、

  • タイプA:成功した時の利益を最大化したい
  • タイプB:失敗した時の損失を最小化したい

です。経済学や心理学で取り扱うリスク愛好、リスク回避という概念に連なる概念だと思いますが、やや異なる概念であるような気もします。

ともあれ、人間というのは神様のように未来が見通せない以上、成功の可能性と失敗の可能性を天秤にかけて最適と信じる道を意識的にせよ無意識的にせよ選び取ろうとしているわけですが、完全な予測は不可能なので、どうしてもどちらかに偏りが生まれます。

ここで、タイプAとタイプBは完全な対立軸ではなく、実際には1つの軸上の連続した状態であるわけなのですが、話をシンプルにするために典型的な2種類の人間がいるという仮定の下で話を進めます。

タイプAは成功の利益を最大化したいので、成功した人間が失敗した人間からより多くを奪うことを正当化します。失敗に厳しいペナルティーを与え、成功に最大限の称賛を与えます。また、社会的弱者に対する援助を削減し、社会的強者に対する報酬を強化します。

さらに、タイプAは成功の利益を重視するので、リスクを好みます。競争を推奨し、市場経済を賛美し、ギャンブルに理解を示し、戦争を肯定します。利害対立には強硬的な対応を取り、白黒はっきりとした結論を求めます。

加えて、タイプAは成功の利益を守り続けるので、既得権益を保護し、社会的な格差を肯定します。権威に追従し、権威が不可侵なものであると考え、上位者が権力を振るうことを好ましく思います。秩序を愛し、秩序を乱すものを糾弾します。

タイプBはあらゆる面でタイプAとは逆のことを志向します。成功した人間が失敗した人間から奪えるものを制限し、競争を忌避し、社会的格差を否定します。

おそらくもうお分かりのように、タイプAは典型的な右派の政治的ポジションであり、タイプBは典型的な左派のポジションになります。

この2つはどちらかが正しいとか優れているとかというものではありません。元々、人間の未来予測の不完全性から来るものであって、その意味ではどちらも始めから間違っています。

それから、この立場は不完全な未来予測から来る帰結である以上、未来予測に変化があれば立場も必然的に変わります。同じ人間でも、焦点になっている分野が異なれば普段はタイプBの立場をとっている人間がその分野だけタイプAの立場を取ることもおかしくありません。

一つ例を挙げると、橋下徹さんは右派の政治的ポジションを取る人物であることはよく知られていると思いますが、北朝鮮との戦争が一触即発という危機的局面を迎えていた時、土下座してでも戦争を回避すべきと主張しているのを見て驚いたことがあります。

これは、タイプAの傾向が強い人間でも失敗する可能性が強く信じられる状況ではタイプBの行動を取ることがある好例だと思います。

この現象の興味深いところは、本人の社会的成功とは無関係にタイプ分けが決まるらしいことです。つまり、タイプB的政策で利益を得るにも関わらずタイプA的政策を好んだり、その逆だったりということが頻繁に起きるのです。

一見矛盾しますが、これもまた人間の不完全性によるものだと思います。つまり、人間は五感の範囲の外のものは極端に無関心になる傾向があることが関係していると思うのです。

このような再配分の問題では、社会全体における再配分としてではなく身近な五感の届く集団の中での再配分の問題として捉えがちになります。そして、本来なら利益を得られる政策を捨て、狭い集団における相対的な有利不利の問題における局所最適解に陥ってしまうのだと思います。

更に、人間が未来を正確に見通せないために、何かを決断する際、未来の予測より過去の経験を重視してしまうということが矛盾した行動を取らせることもあります。

例えば、業界全体が成長のピークを超え徐々に衰退へと向かう時、人の記憶にはまだ成功することが容易だった時代の経験が強く残っています。すると、既に失敗の確率が高まっているにも関わらず、成功した時の利得を重視する選択を取ってしまいがちになります。

逆に業界がようやく成長軌道に乗ってきた時には、より大きな成功を狙える状況にあるにも関わらず、過去の経験から失敗のリスクを恐れて新たな競争を回避しがちになります。

つまり、タイプAが適切な状況下でタイプBを、逆にタイプBが適切な状況下でタイプAを選んでしまうのです。

タイプA、タイプBの仮説はあくまで私個人の私的な仮説ですが、これまで私が見てきた(五感の届く)範囲ではうまく事象を説明できているように思います。

さて、現在、日本では左派の政党の勢いが極めて弱く、右派に多くの支持が集まり安い状況が続いているように思われます。これは単に民進党の内部分裂や選挙下手によるものだけではなく、根本的に左派的な政策に支持が集まりにくいという状況があるのだろうと思います。

私にはそれが逆に恐い未来を暗示しているような気がするのですが、いかがでしょうか?