2013年3月13日水曜日

平安時代の美醜の基準について その1

転載1つ目は2011年11月20日(日)の投稿です。
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/161382/blogkey/296417/

基本的には某NHKの大河ドラマと同じで、都合のいい所だけ時代考証しているって言いたいだけだったんですけどね。なぜかこんな長い文章に。

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多分、いつか続きを書くかもしれないので、今のところその1としておきます。その2があるかどうかは保証しません。

転生!かぐや姫の感想で、平安時代の美醜の基準と物語内でのそれのズレについて突っ込みが入ったので、思っているところを書いてみようかと思いました。といっても、今後本文中でネタにするつもりの内容もあり、ここで全部書いてしまうとスポイルするほどのネタバレになってしまう可能性があるので、その辺を避けて書きます。

まず、美醜というか、人が容姿に対して好意を抱く要素にはいくつかあるとは思うのですが、大きな対立軸として、完成と可能性というのがあると思うんですね。完成というのはつまり大人としての美しさで、可能性というのは子どもらしい可愛さに対応すると思ってください。

で、完成の極である大人としての美しさは、文化による差異が大きいと思うのですが、可能性の極である子どもらしい可愛さは、文化的な差異がほとんどないんじゃないかと思うのです。端的に言うと0歳児の赤ちゃんは1000年前でも同じような可愛さを持っていたのではないかということです。

竹姫の場合、まだ推定年齢7歳程度なので、ほとんど子どもらしい可愛さが好悪を支配する段階だと考えられるので、現代と平安時代でもほとんど変わりないと考えていいのではないかと思います。健康的で、笑顔で人懐っこくて、好奇心に満ちた子どもは、時代と場所にとらわれず、可愛いですよね。

美醜の基準として取り上げられるのはほとんどの場合、大人としての美しさだと思います。で、その中身には人工的な要素がたくさん入ってきて、そこには技術的、社会的な制約が大きく関わってきます。例えば、化粧品の種類や室内の明るさ、女性の生活様式などは、女性の化粧の好みに大きな影響を与えます。

化粧を除いた顔立ちそのものは、平均的美人説に大雑把に従うのだと思います。つまり、目鼻立ちのバランスがとれていることが最重要で、その意味では現代と平安時代で大差はないはずです。これは特に化粧をしない子どもではそうだと思います。

引目鉤鼻といいますが、あれは絵の描き方の技法で、リアルにあの顔が好まれていたかどうか、若干疑問です。いくら萌え絵が好きだからって、リアルに顔の1/3が目で鼻がないの女の子が美人だとは思わないですよね?

とはいえ、顔立ちには技術的、社会的な制約で、平均からずれる方向に好みのバイアスがかかるのが普通で、それは大体上流階級の風俗に引っ張られていると考えていいのだと思います。例えば、平安時代の好みである下膨れた顔は、栄養状態が良くて太ってるってことですよね。

ところで、転生!かぐや姫のジャンルはラノベのつもりで書いているので、挿絵を書いたときにいちいち解説を入れないといけないような風俗は意図的に無視したり変更したりします。例えばお歯黒はなかったことにする他、全体的に化粧は現代的な常識から外れない方向に変更します。

何がどう変更されたかは、その都度後書きで指摘していこうと思うので、気になる方は後書きを注意して読んでみてください。

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